ごあいさつ 星マリナ
『三十年後』の97年後私は祖父・星一に会ったことがありません。 私がうまれる12年も前に亡くなったからです。 ですが、祖母・精は私たち家族のとなりの家に住み95歳まで生きましたので、たくさんの時間を共有することができました。 ある日、小学生の私が祖母のリビングにいたときのこと、父が入ってきて祖母に聞きました。 「おやじの目が義眼だったのは、どっちの目だったのかな」(こどものときに、弓矢が目にささって失明したのです) 今思うと、父が祖父の伝記『明治・父・アメリカ』の執筆準備をしていた時期だったのでしょう。 祖母が「右目よ」といい、私たち3人は、リビングの壁の天井にちかい高さにかかっていた祖父の大きな写真をしばらくのあいだ見つめていました。 私が星一という人をちゃんと認識したのは、そのときがはじめてだったかもしれません。 星薬科大学創立者の星一は、知れば知るほどスケールの大きい人なのでした。 なんといっても、星新一をもってしても「不肖の息子」意識がぬぐえなかったほどの人でして。 でも私自身は、孫だからなのか、女だからなのか、自分と星一を比べることがそもそもナンセンスというか。 すっかり1周して、能天気に「会ってみたい歴史上の人物ナンバーワン」のようなことになっているのでした。 その星一が97年前に出版した『三十年後』というSFを自費復刊することになりました。 あと3年待てば100年でキリがよかったのですが、待ちきれず。 ことの起こりは数年前、高井信さんが、父の要約した「三十年後」が掲載された「SFマガジン」(1968年10月号)を「余分があるので、さしあげますよ」と送ってくださったことでした。 読んでみたらおもしろく、おどろいたことに本当にSFだった! なんと、「日本SFの父」と呼ばれる海野十三さんが書いた『三十年後の世界』の30年前に書かれたこの日本SF。 もしかすると星一は「日本SFの祖父」なのか!?(^.^) そのあと、その倍の長さのオリジナル(文章化は小説家の江見水蔭さんが担当した模様)を読んでみたのですが、星新一の手が入っているもののほうがすっきりしていてよかったので、要約版のほうを復刊することにしました。 『三十年後』の主人公・嶋浦太郎のモデルは、星一の師であり友人である後藤新平さんです。 後藤伯爵は、医者であり、「和製ルーズベルト」と呼ばれた政治家であり、台湾総督府の民政長官で、東京市長で、関東大震災後につくられた帝都復興院の総裁で、国鉄(現JR)と東京放送局(現NHK)の生みの親でetc. と、星一以上にスケールの大きな方で、復刊準備のために『三十年後』と、星新一著『明治の人物誌』の「後藤新平」の項を何度もくりかえし読んでいたら、すっかりファンになってしまいました。 『明治の人物誌』の取材中に父が後藤新平さんのご遺族にうかがった話では、星一は毎日のように後藤家に通い、いつもたのしそうにあれこれ話しあっていたとのこと。 私は、スケールの大きなふたりがアイデアを語りあう様子を想像して、きっと星新一と小松左京さんのような関係だったにちがいない! と、とてもうれしく思うのでした。 そんなふたりをイメージしつつ、『三十年後』をおたのしみいただければ幸いです。 2015年8月21日 |
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