大学の薬学部に入って、心を撃ち抜かれるような気持ちで『人民は弱し官吏は強し』を読んだ。あのころからずっと意識下で、いつか自分も星さんのような本が書けるだろうかと願っていたような気がする。薬学を目指した自分もいつか星さんのように父を書きたい。その想いに近づくひとつの機会があった。
2009年、アメリカやメキシコで発生した新型インフルエンザウイルスは世界各国へ広まっていった。当初は確かな情報も少なく、日本国内でも大きな混乱が生じ、多くの人たちが不安に怯えた。
そうしたなか、出版社から「インフルエンザの本を書かないか」と依頼があり、私は熟考して引き受け、そして同時に父へメールを出した。私の父は大学で長年インフルエンザウイルスの感染機構の研究を続けてきた薬学者だ。父に書籍監修の役目を引き受けてもらい、さっそく父のもとに出向いてインタビューをした。まずはウイルスの基本について。それから父がこれまでやってきた研究について。父は話し出すと長い。細かな事実関係にこだわるので、なかなか核心を聞き出せない。その日だけではとても終わらず、後に何度も会い、電話でも聞き取りをすることになった。
たぶん父といっしょに本をつくるのは、これが最初で最後になるだろう。だから父の研究人生をこの本に凝縮しよう。父の想いをすべて記録しておこう。書きかけの小説をすべて放り出して、私は『インフルエンザ21世紀』と名づけたこの本に取り組んだ。
ところが、父はふしぎなことに、自分の人生をほとんど記憶していない。あれこれ手をかえ品をかえて聞き出そうとしても、研究人生と共にあったはずの喜びや悲しみといった感情が出てこない。父が語るのはもっぱら何年にどういうタイトルの論文を出したかというデータで、父の思い出はすべて発表論文の年表で成り立っているようなのだ。
「いや、新聞記者が相手なら、もっとちゃんとしゃべるんだけどね」
本ができあがった後、父はすまなそうな笑みを浮かべていった。父は本のゲラ校正の段階で、私が聞き出したわずかばかりの感情を、ほとんどすべて文章中から削除していた。「研究とは関係ないから」と、ひとりの研究者としてまっとうな理由だった。正直なところ、私は悔しかった。自分の『人民は弱し官吏は強し』が書けなかったという思いが膨らみ、しかも本はまったく売れず、私は強い挫折感に囚われてしまったのだった。
しかしいまは別の気持ちを抱いている。大勢の研究者に取材しながら一年前の自分が感じたことを思い出したのだ。星さんは膨大な文書資料から父や祖父を描いた。私もそうした手段を執るべきだったのだろう。私の父はいつも笑顔で人なつこく、多くの研究者と交流を持った。父の紹介ならどんなに忙しい研究者でも取材に応じてくれた。彼らからインフルエンザについて話を聞くとき、父についても尋ねてみた。ほとんどの研究者は「立派な先生ですよ」といい、そこから先の言葉は出てこなかったが、彼らの表情を見つめながら自分の心にもうひとつの父の像が生まれるのを感じたのだ。
そうした印象を『インフルエンザ21世紀』の中に焼きつけることはできなかった。しかし、文字にならないもう一冊の本が、自分の中に残ったのだと思う。時間が経つにつれて、心の中の本が大きな存在になっている。それが私の『人民は弱し官吏は強し』なのだとようやく気づいた。
父は星新一の本を読んだことがあるだろうか? そのことさえ私は父に尋ねていなかった。いまの私の職業が、父の職業である薬学とひとりの作家でつながっていたことに、父は気づいているだろうか? 今度父に会ったら星新一の話をしてみたい。
2010年11月
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