ぼくの結婚披露パーティの寄せ書きより
星新一さんが文壇で評判になりだしたころ、ぼくはテレビ朝日ドラマの脚本のもととなるショートショート(=SS)をもらいに、一ノ橋近くの高層マンションの星さん宅へよく訪れたものだ。
あるとき玄関先の立ち話だったが、ぼくは、「SSを創作する秘訣は何ですか」と単刀直入に訊いてみた。
「そんなものありませんよ」
「いや、絶対にあるはずです。
秘伝とかをちょっぴり、教えてくれませんか」
「秘伝?……秘密にしているから秘伝なのです……強いていうなら、閃きですかね」
ぼくは、なおも食いさがった。
「星さん、星さんはいま、どんな勉強をしていますか?」
「落語のオチです。だから、私は古典落語を研究中です」
そう重い口調で答えてくれたのを、ぼくは今でも忘れないでいる。
1990年の7月18日(ぼくの誕生日)に、講談社刊『愛の栞』(妻の康子とぼくとが結婚に至るまでの書簡集)を贈呈したところ、星新一さんから同年9月18日付の礼状が、ぼくの手許に届いた。
本当に久しくお会いしませんが、お元気のようで、なによりです。
立派な本をいただき、ありがとう存じます。
普通の作家には書けない内容で、心に沁みました。
本にまとめたい気分、よくわかります。
本年の夏は仕事になりませんでした。
私は五年前より、旧作の手直しをしています。
SF的なものは年月がたつと古びる部分があり、なじんでくれません。
予期しなかったことです。
新作をかくよりも楽です。
若井田 久様へ
星新一より
星新一さんは苦しみ抜いて、しかも晩年は書痙に苦しみながらも、1983年に1001篇の『SS』の作品を遺している。
数といい、内容といい、ぼくは驚嘆せずにはいられない。
ぼくよりも四つ年上の星さんは、口調は重いほうだったが、話す内容はいつも正鵠を射ていて、婉曲な話し方を嫌う人だった。
それが星さんの持ち味であったとぼくは、かねがねおもっていた。
ぼくが自分自身の経歴を振り返ると、テレビ映像制作の仕事とともに、執筆活動をはじめたのは、星さんからの強い刺激があったからだ、とおもっている。
2024年2月
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