コンピュータに星新一さんのようなショートショートを創作させることを目指した「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」(星新一さんのファンの方々にはプロジェクト名の所以はすぐにおわかりのことと思います)を2012年から開始した松原仁(まつばら ひとし)と申します。
羽生善治さんに勝つことを目標としたコンピュータ将棋の研究もしています。
よろしくお願いいたします。
このプロジェクトを始めたのはもちろんぼく自身が星新一さんの大ファンだからですが、むさぼるように読んだのは1971年から1974年にかけての中学生のときでした。
プロジェクトを始めて星新一さんの作品を読み返すとその頃の自分が思い出されます。
それはかなり恥ずかしい思い出です。
「おたく」という言葉がありますが、これは東京の山の手で男の子が仲間に向かって「おたく」と呼びかけていたのが元になっています。
ぼくも中学生のときに友達を「おたく」と呼び始めました。
「おたく」と呼ぶのは一部だけでなく、男子生徒はほぼみんな使っていました。
「おたく星新一読んでる?」と友だちから聞かれて「うん、ボッコちゃんが好き。
おたくは?」と聞き返したことをいまでも覚えています。
当時のわれわれの言動はまさにいまで言う「おたく」でした。
おおげさに言えばわれわれは歴史的に「おたく」の元祖だったのです。
最近になって「中二病」という言葉ができました。
中学二年生ぐらいの時期の自意識過剰の状態を表したものです。
当時はこんな言葉はありませんでしたが、中学生のときのぼくはまさに「中二病」にかかっていました。
星新一さんのショートショートを読みふけって、ぼくもショートショートの作家になれると思ってしまったのです(そのころ読んでいたオー・ヘンリーの短編小説にも影響されました)。
まだワープロなどはなかったので、原稿用紙にショートショートを書きまくりました。
期間としては数か月程度でしょうか。
あるとき少し冷静になって自分の書いたものを読み直すとまったく箸にも棒にもかかりませんでした。
作家になれるという夢は覚めました。
作品もどきはすべて廃棄しました。
中学生のときには将棋にも熱中しました。
かなり短い期間でアマチュアの有段者のレベルにまで上達し、これならプロ棋士になれると思ってしまいました。
こちらも一か月ぐらいで挫折しました。
もっともっと強い同級生にぼろぼろにされてしまったのです。
中二病から覚めたぼくは、引き続きおたくではあったので、幼稚園児のときの夢に回帰して鉄腕アトムを作ることを目指しました。
それが人工知能研究者でした。
人工知能研究者になってコンピュータ将棋をテーマに選んだのも、自分では無理だった打倒名人をコンピュータに果たしてほしいという思いがありました。
最近コンピュータがプロ棋士に勝って、その思いが叶うのはもはや時間の問題となっています。
星新一さんのようなショートショートをコンピュータに書かせることを研究テーマに選んだのも同様の思いがあります。
ぜひこの思いをかなえて中学生のときの恥ずかしい思い出をいい思い出に変えたいです。
2013年10月
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