私にとって星先生は、人生の行く先を指導していただいた師であると断言する。
私が、非才ながらもある程度の成功を収め、いまこうして気ままな生活を送ることができたのは星先生のおかげである。
なぜなら、金融業界などの規制業種ではなく、ましてや中央官庁でもなく、自由なアメリカのベンチャー企業に入社したからこそ、今の私がある。
星作品に初めて触れたのはハヤカワ・SF・シリーズ、いわゆる銀背の『午後の恐竜』だった。
ほかにも『悪魔のいる天国』や『妖精配給会社』などが書棚に収まっている。
星作品を貪り読んでいたこのころ『人民や弱し 官吏は強し』に出会ったのだ。
読み終えて心底震え上がった覚えがある。
まだ高校生だったので、怜悧な官僚に対する怒りよりも、強大な権力を振り回す官僚に対する怖れのほうを強く感じたのだ。
この人たちは本物の悪魔なのだと思った。
そして、けっして自分はその悪魔の官僚にも、官僚に人生を左右されるような規制業種の社員にもならないと誓ったのだ。
大学を卒業して就職したのは外資系の自動車部品会社だった。
ここには官僚の支配が及ばないだろうと考えたからだ。
しかし、じっさいには部品会社は自動車会社という民間官僚に支配されていた。
理不尽とまではいわないが、上下関係は明確だった。
そこで、官僚にも取引先にも支配されない会社を探し出して転職した。
その会社とはアメリカで設立されて間もないマイクロソフトだった。
ビル・ゲイツに率いられたマイクロソフトはどんどん成長し、Windows95が発売されるころには、私は日本支社の社長になっていた。
煩わしい官僚といえば公正取引委員会だけになっていた。
いささかの誇張もなく『人民は弱し 官吏は強し』は、それほどまでに私の人生に影響を与えたのだ。
じつはこの本はもう一つ、私がマイクロソフトを辞したあとの仕事をも規定していく。
2000年にマイクロソフトを辞したあと、しばらくしてHONZという書評サイトを立ち上げた。
30人あまりのアマチュア書評家が毎日寄稿し、いまでは月間200万回もの閲覧回数を誇る。
この書評サイトの特徴は小説や詩歌をのぞく、広義のノンフィクションのみを書評するという点だ。
これはいままでの日本にない試みだった。
もうおわかりであろう。『人民は弱し 官吏は強し』は星先生が残した作品の中で、数少ないノンフィクションの一冊だった。
この作品に出会って以来、私の読書傾向は一変し、小説からノンフィクションへと移っていった。
以来数十年間、ノンフィクションを読み続け、それがHONZへと結実した。
定期的に新聞や週刊誌で書評家として書かせてもらえるようになったのもこの本のおかげなのだ。
もちろんノンフィクションの『祖父・小金井良精の記』『明治・父・アメリカ』は読んでいる。
しかし、恥ずかしながら『ボッコちゃん』は読んでなかったのだ。
そこでこの文章を書くにあたり『ボッコちゃん』をいまさらながら読んでみた。
数十年ぶりの星ショートショートとの邂逅だ。
じつに面白い。
折々に読んでおくべきだった。
ビジネスのヒントにも使えそうだ。
その夜、エヌ氏になりきった私は、まだ読んでいなかった星作品を10冊ほど注文したのはいうまでもない。
2016年11月
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