命短し襷に長し
星さん作の合成諺だが、この爆笑の言葉遊びが自分の深部に共鳴するらしく、書くのは正直三度目だ。
刺激され、自らもパロディ作りに没頭したものをまとめた諺パロディ集『ことわざおじさん』(ポプラ社)のあとがきで、まず敬意を表した。
そして新刊『黒のショートショート』(講談社)のあとがきでは、親しみをこめて、自作の俳句パロディを後に並べた。
星さんのそんな一面が好きな方はご一読ください。
で、三度目の正直な話。
あの時もし、ああしていたら……。
そう思い返す場面が誰にも、いくつかあるはずだ。
33年前の冬。
1985年度星新一ショートショートコンテストで最優秀作に選ばれた、という連絡をもらい、ぼくは授賞式会場に向かっていた。
星さんにはもちろん会ったことがない。
会場で初対面する場面を想像していた時、つい思いついてしまったのだ。
初っ端に自作の言葉遊びを言って、星さんを笑わせよう、と。
若いとは恐ろしい。
関西に育つもんじゃない。
星さんの合成諺に刺激され、こんな言葉パロディを作って、喜んでいたのだ。
石川啄木の名歌とアミーチスの名作で
戯れに母を背負いて三千里
星さんは面喰った後、笑ってくれるにちがいない。
そしてちょっと認めてくれるのでは、と考えたのだ。
ああ、バカだ。背伸びしてたんだなあ。
ショートショートの神様に対するそんな企みをショートショートの神様が許すはずがない。
さあ、言うぞ、と心の準備をする前に、会場へ昇るエレベーターで、いきなり星新一氏と乗り合わせてしまったのだ。
向こうは知らないのだから、受賞者が名乗らないのはおかしい。
ほかに人もいるし、どうしようか、と迷った。
しかし、とても「戯れに」などと言い出す勇気はわいてこなかった。
「山口タオです」と挨拶して、お礼を述べた……気がする。
よく覚えていない。
後の授賞式会場で少しお話しできた時も当り障りなく終わり、星さんとはそれっきりになってしまった。
あの時、エレベーターの中で勇気を出していたら、どうなっただろう。
もっと自分を伝えられて、親しい繋がりができたかもしれない。
ふとそう思うのだ。
数年後にぼくは童話作家へと道を変えたが、ショートショートもぽつぽつ続けていて、自分なりに追求したショートショートがついに書けた、と喜んだ時には、もう星さんは他界されていた。
「ロバが語った宇宙飛行士の話」、読んでほしかったな。
今春、ぼくにとって初めてのショートショート集(2冊組)が講談社から出た時も、御存命ならきっと喜んでくださっただろう。
なにしろ授賞から33年も経っての快挙、いや怪挙なのだから。
『白のショートショート』の最後に「ロバが……」を収録。
『黒のショートショート』のブラウン風「地球人が微笑む時」やSF超短編「ファルルーが出てくる日」は気に入ってもらえた気がする。
ほんとうに残念です。星さん。
もしも、本の帯に推薦の言葉をもらいに行く機会が持てていたなら、「ご無沙汰しております」などと言わないで、今度こそ笑顔で言えたのに。
戯れに……
2018年9月
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